伝統技法と近代技術の融合! 玉虫塗の歴史
仙台発祥の伝統工芸として広く知られている「玉虫塗(たまむしぬり)」。艶やかな光沢を持った漆芸で、光の当て方で表面の色合いが微妙に変化するさまが、玉虫の羽に似ていることから「玉虫塗」と呼ばれるようになりました。
近代工芸の歴史を語るうえで欠かすことのできない「玉虫塗」の歴史を簡単にご紹介しましょう。
玉虫塗はどうして生まれたの?
玉虫塗は昭和7年(1932年)に仙台の「国立工芸指導所」で開発された技法です。国立工芸指導所は昭和3年(1928年)、商工省(現・経済産業省)によって作られた全国唯一の工芸デザイン指導機関。日本工芸の近代化、そして東北の産業開発を目的に設立されました。それまで「見る」ことに重きが置かれていた工芸から、「使う」ことに重点を置く近代工芸の転換が国立工芸指導所によっておこなわれたと言われています。
玉虫塗はその国立工芸指導所の所為だった漆芸家、小岩峻によって発明されました。当時、外貨獲得のため多く輸出されていた工芸品にとっての課題は、外国人に好まれるデザインを生み出すことでした。その際に大きなポイントとなっていたのが「色彩」で、その中で小岩が試行錯誤の上で発明したのが、伝統的な下地が施された器に銀粉やアルミニウムをまき、その上に染料を含んだ透明な漆を吹き付けて仕上げるという技法、玉虫塗です。
玉虫塗の発明により、外国人に好かれる色合いを生み出し、なおかつ輸出用に生産量や納期を安定させることができるようになりました。
玉虫塗は仙台を代表する工芸品に
小岩の手によって生み出された玉虫塗は、その後、現在の東北工芸製作所の初代社長の佐浦元次郎によって仙台を代表する工芸品に育てられていきます。
昭和10年(1935年)に玉虫塗の特許実施権を得た佐浦は、玉虫塗の商品開発を本格的に始めます。
戦後になって、進駐軍の米兵たちがたくさん行き来するようになると、佐浦は店内に土足で上がれるようにするなど、米兵の家族を営業のターゲットに絞ります。店内に並ぶ艶やかな玉虫塗は瞬く間に話題になり、たくさんの外国人客が店に訪れるようになりました。
マッカーサー元帥夫人も買い物に訪れたり、天皇陛下への献上品になったりなど、玉虫塗はその後も普及し続け、仙台にとどまらず、日本を代表する工芸品になっていったのです。
「用の美」を追求し、世界に発信されながら独自の発展をつづけた玉虫塗。現代の人々が見ても、その艶やかで美しい輝きを放つデザインはモダンに映るのではないでしょうか。
玉虫塗はこれからも「使う工芸」という精神を受け継ぎ、さらなる進化を続けていくことでしょう。
外国人のお友達へのお土産やプレゼントなどに選ぶと、喜ばれるかもしれませんよ。
2017年8月23日