日本は「黄金の国」だった? 人々を魅了する金の文化
京都の金閣寺や平泉の中尊寺金色堂は、金箔に覆われた歴史的建造物として国内はもちろん海外でも有名です。これらの名所をお目当てに日本を訪れる外国人観光客も少なくありません。
金に覆われた建物という、神秘的で珍しい光景を見てみたいという背景には、日本がかつて「黄金の国ジパング」と呼ばれた過去に想いを馳せ、ロマンを感じるという心理も働いているのかもしれませんね。
今回は、黄金の国ジパング伝説と、日本の金の文化についてご紹介します。
神秘に包まれた「黄金の国ジパング」
13世紀にアジア各地を旅したイタリア商人マルコ・ポーロが、帰国後話した内容をもとに記されたという『東方見聞録』。そこに登場するのが「ジパング」です。
ジパングについては、マルコ・ポーロ自身が実際に訪れたわけではなく、中国で伝え聞いた話として語られています。
ジパングは中国の東の海に浮かぶ島国で、「莫大な金を産出し、宮殿などの建物がすべて金でできている」などといったことが書かれています。
また、そこに暮らす人々は穏やかで礼儀正しい一方で、人肉を食べる習慣があるというような記述も。もちろん、当時の日本に人肉食の習慣はなかったので、噂話や想像を交えて書かれた部分も多かったのでしょう。
ちなみに「ジパング」という名は、「日本国」を中国語読みした音がもとになったのではないかと言われ、「ジャパン」「ジャポネ」など海外の諸言語で日本を表す言葉の起源と考えられています。
日本における金の産出
『東方見聞録』で語られた「金でできた宮殿」というのは、1124年に建てられた中尊寺金色堂のことが伝わったのではないかと考えられています。
当時、奥州と呼ばれていた東北地方には、岩手県の玉山金山をはじめ複数の金山がありました。中尊寺金色堂は、奥州の統治者であった藤原清衡が平和な世を願って建立したものです。東北地方の金山で採取された金が、金色堂に使われたのではないかと考えられます。その後、東北地方の金山は徐々に衰退し、17世紀に廃山となりました。
東北地方の金山の廃山と前後して1601年に江戸幕府により開山されたのが、新潟県の佐渡金山です。1989年に採掘が中止されるまで、約390年にわたっておよそ78トンもの金を産出しました。
ジパングに想いを馳せる日本のおみやげ
国内で産出された金は、貨幣として鋳造されたり、中国などとの貿易の対価として輸出されたりしました。その一方で、金糸や金箔、金粉などを用いた手工芸品なども多く作られるようになったのです。
例えば、漆に金粉で模様を描く「蒔絵」や、金糸で模様を織り出す「金襴」などは、日本の伝統工芸品として現在でも愛されています。「黄金の国ジパング」と呼ばれた古い時代へのロマンを込めて、海外の方へのおみやげにはこうした金文化を感じさせる品を選んでみてはいかがでしょうか。
2018年7月31日