歴史の深い日本のお菓子! 金平糖(こんぺいとう)とは

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歴史の深い日本のお菓子! 金平糖(こんぺいとう)とは

金平糖はカラフルでかわいく、甘いお菓子として知られていますが、その作り方をご存知でしょうか。実は金平糖は制作方法が難しく、修行を積んだ職人さんの高い技術がなければ作れないお菓子なのです。今回はこの金平糖とはどのようなものか説明しながらその作り方をまとめていきます。

金平糖の由来とは

戦国時代にポルトガルから伝わってきたお菓子として知られている金平糖は、織田信長に謁見する際に献上されたことで日本に伝わったと考えられています。つまり440年以上も前に日本に伝わってきたお菓子、ということになり、歴史のあるお菓子の1つといえるのではないでしょうか。

戦国時代に金平糖が日本国内で製造された記録は多くなく、実際に製造されたのは江戸時代あたりとされています。しかし制作方法は秘密となっており、長きにわたって一般市民が作ることは許されていませんでした。

18世紀ごろからは市民層による製造が始まるようになり、主に贈答用の高級品として扱われていました。その後、太平洋戦争中には金平糖は保存食として食べられるようになり、今ではお土産などのプレゼントにされるようになりました。

金平糖の語源とは

前述の通り金平糖はポルトガルから伝わってきたという説が有力ですが、ポルトガル語で砂糖菓子のことを「confeito」といいます。confeitoは「コンフェイト」と聞こえるため、そこから「こんぺいとう」と呼ばれるようになりました。
その「コンフェイト」という言葉が「金平糖」と当て字されたと考えられています。

金平糖はどう作られている?

銅鑼と呼ばれる大きな釜を熱し、そこに大量のザラメを投入します。ザラメは金平糖の核です。釜の温度を80℃に保ち、1分間に2回転のペースで回転させながら、そこへ70℃に温められた糖蜜を投入します。その後も銅鑼を回転させて、糖蜜がザラメを包むまで、職人の手によって鍬のような棒でかき混ぜられます。この工程を最低2日、大きな金平糖を作る場合は2週間ほど時間をかけて、金平糖を作っていくのです。

気温や銅鑼の角度によって金平糖の大きさが変わってしまう大変な作業になります。技術が備わってない人が金平糖を作ると角が綺麗に出なかったり、艶のないカサカサした金平糖になったりしてしまうので、腕のいい職人が作らなくてはなりません。

金平糖はどう作られている?

金平糖は古くから日本にあるお菓子で、今でもお土産や引き出物として愛されています。海外のお友達にお土産を持って行こうと考えている方は、金平糖も選択肢の1つとして検討してみてはいかがでしょうか。

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